塾に通って頭が悪くなるという現象②
2.チェック不足の問題
では『暗記当て嵌め型』にならないよう原理原則をきっちり教えて論理的に解くよう指導すれば全員点数が上がるかと言ったら、それだけでは不十分です。
なぜならば、中・下位層の大半は前述のような暗記当て嵌め型の思考回路を大なり小なり既に持っており、いくら講師が授業で原理原則を喋っても、話を聞かずに最後の結論となる『解法部分』だけ聞いて、結局それに当て嵌めて答えを出そうとする生徒が大勢いるからです。
なんといっても、相手は中学生。
その中の特に中・下位層ともなれば、初めから勉強に対して前向きでない生徒が半分以上を占めます。
話を聞かない、宿題をやらない、こっそり答えを写す、間違えた問題でも赤で丸を付ける、間違えた問題を消して答えを書き写してさも最初から正解だったかのように偽装する、などなど。
こういった不真面目な行為を注意しても繰り返すという習性が中・下位層の半数以上で見られます。
これを正すのがまず何よりも優先するわけですが、どう正していくかの話はトピックがまた変わってしまうので別稿にします。
さて、これが直ったとして。あるいは最初からまじめな生徒の場合。
暗記当て嵌めは『思考を放棄して楽に答えを出すやり方』で、性格的にまじめかどうかにかかわらず中・下位層の多くは放っておくと大体これをやり始めます。
長期的に見ればそれは絶対にやってはならないし、そう解いている生徒を見つけたら即座に直さなければならない。
この『楽な解法』に走りたがる習性があるということを理解し解決しなければ、いくら原理原則を一生懸命話しても徒労に終わり、全員高得点を取らせるということはできません。
ではどうすれば良いか。
他塾ではほぼやっていない、当塾の取り組みがあります。
手間はかかりますが、絶対に欠かすことのできないルーティンです。
それは、終わった後のノートチェックです。
ただし、普通のノートチェックではありません。
ノートチェックと言えば、一般にイメージされるのが「先生の板書をきちんと書いているかどうか」の確認だと思いますが、そんなところは見ません。
というより、そもそも当塾では板書をノートに書かせるようなことは一切しません。
もし書き写している生徒がいたら即座に注意します。
「そんなもん書かんでいいよ。なんもせんでいいから黙って話聞いてて」と。
板書を書き写していたら、その最中の私の言葉を聞き逃すことがあるのがまず一点。
それから二点目が、これが超重要なのですが、何のためにそれ(板書の書き写し)をするの?という、そもそもの目的の部分です。
「あとで解き方を忘れたときとか、復習のときに見返すため」という目的で恐らくはみんなノートを取っていると思います。
その時点でダメです。
なんですか忘れたときて。復習で見返すて。
忘れる前提か?
今日、いま、この授業中に、全部できるようにしろ。俺ができるようにさせる。できるようになってから帰れ。
そのための説明と演習問題は用意してあるから、まず黙って聞け。そして解け。必ずできるようになるから。
これです。
なぜ他の塾は忘れることを前提に進めるのでしょう。
そのマインドで書き写した内容は、今日いまこの場で身についたと胸を張って言えるでしょうか。
それで演習問題が解けるのでしょうか。
否。
書き写すのに精いっぱいで、そこまでのレベルには到達しません。
到達しない授業の進め方です。
生徒が悪いのではありません。講師の授業が下手なのです。
忘れたときのための板書書き写しなんて、すべて時間の無駄だと思っています。
そんなことせずに、今日この場で全てできるようになってから帰ればいい。
そして宿題は、今日やったことをもう一周同じ問題をやれ、これが当塾の宿題です。
一回だけではさすがに演習不足なので基本的には全て二周ずつやります。
家での課題は塾で既に一周やったのと同じ問題なので、基本的には自宅で一人で勉強している時に「わからない」ということが起こらないようにしています。
わからないというのはそれなりにストレスになりますから、それを軽減する狙いもあります。
よく予習が宿題になっている塾がありますが、これは最悪の宿題です。
イメージも沸く前から自分でテキスト読んで予習させて解いて来いなんて、よほどの上位層じゃない限り成立しません。
それを中・下位層にもやっている塾があるんです。
そういう塾に行っている生徒は、私はかわいそうという言葉はレッテル貼りのようであまり気分のいいものではないため使わないようにしているのですが、これは本当にかわいそうだと思います。
優秀な生徒以外は、中途半端に予習すると暗記当て嵌め型にしかなりません。
頭が悪くなります。
こういうことをやっている塾は直ちに改めるか、あるいは速やかに潰れるべきです。
そういう塾は論外として。
板書暗記型の授業をしている塾は、例えばバスケットボールの球すら見たことがない初心者にバスケを教えるとき、全部説明してから練習するのでしょうか。
「バスケというのは5対5の球技で、コートの広さが28m×15mで、リングがあってそれに球を入れれば点数が入って、多く入れた方が勝ち。フリースローラインというものがあって、こういうことで、スリーポイントラインというものがあって、それがこの線で、点数の入り方がこうで、トラベリングとはこういうことで、ドリブルは、ファウルは・・・・」
これ全部説明してノートに書かせて覚えさせてからやるの?
なにそれ。
やりたくなくなるわ。
私ならこうです。
「オラ!この球がバスケットボールだ!見たことあっか!」
「あります!」
「マジかおめえ物知りじゃねえか! いいかこれがドリブルだ! ダンッダンッ。どうだスゲーだろ!おめえできっかよ!ほれ!!」
もう、ほれ!でボールを渡してすぐにドリブルをさせます。
細かいことは要らないんですよ。相手はまだ何も知らない初心者で、どんな競技かのイメージすら持ってないんですから。その状態でボールも見せんとズラズラ説明したって絶対にイメージなんか湧きませんし、覚えきれません。
だからまず基本動作であるドリブルをやって見せて、すぐにやらせる。
ドリブルができるようになったのを確認してから、トラベリングというものを説明する。
バスケの球すら見たことがない人にルールの説明をあれこれしたってどういうことなのかイメージが湧かないので、絶対にあちこち忘れます。
そんなことより、見せる方が早い。
習うより慣れろ、です。
「忘れたときのために書き残して、ちゃんと覚える」と反論する人もいると思いますが、違います。
いま、この場でできるようにさせないから忘れるんですよ。
ドリブルをできるようにさせてから「トラベリングとはこういうことだ!」と説明すると、相手は既にイメージが湧いているので『暗記』ではなく『理解』としてトラベリングを覚えることができる。
この違いが決定的です。
暗記は忘れますが理解は忘れません。
当塾の生徒が「やり方忘れた」なんて言い出すことがほとんどないのは、こうやって教えているためです。
教え方ひとつで生徒の記憶の維持は全く違ってきます。
よくわかっていないまま暗記するから忘れるんです。
わかっていることは忘れません。
最初に板書で「平方根とはこうで、プラスマイナスがついて、0の平方根は0で、負の数の平方根はなくて・・・」とズラズラ書いて覚えてってやると、そりゃ絶対に忘れますよ。
忘れるような教え方してるんですから。
今日、この場で、できるようになってから帰れ。
これが当塾のスタイルです。
そのために必要なのが、板書は書かせない、俺のドリブルをまず黙って見とけ、ほれお前もやってみろ、この流れ。
言われた通りにやればすぐにできるようになります。
加えて演習量が間違いなく秋田県で一番多い塾ですから、今日の課題が終わる頃には完全にできるようになっているわけです。
具体的に書くとドン引きされて入塾を敬遠されるでしょうから書きませんが、頭おかしいんか・・・と思われるぐらいにやってます。
その演習量を可能にするには、絶対に必要なのが「今日ここで必ずできるようにする」というマインドを生徒に持たせること、その上で板書を書かせずに話をきちんと聞かせてすぐに演習という、無駄を省いた流れであること。
まずこれが必要です。
上手な説明と滞りない流れがあれば、膨大な問題数であっても実際にはそこまで時間はかかりません。
まして家でやる二周目なんかはさらに早く終わります。
また、できるまで帰れませんという制度もあります。
私の感覚で、この生徒はまじめにやってくれるなという信用がある生徒は途中で切り上げて残りは家でという風にしていますが、その信用を得るまでは全部できるまで帰しません。
中・下位層の特性として、時間が区切られていたらボーっとして勉強しているふりをしていても定刻になったら必ず終了になって帰れる、という甘えから、まともに取り組まない生徒が必ず多数出ます。
私はこれを許しません。
許さないと言ってもそのような不真面目な生徒は基本的に親や先生から怒られ慣れていますから、私が怒ったって一緒で、馬耳東風。右から左です。聞きやしません。直りません。
そんなことは最初から分かっています。
なので、システム的に叱らなくても済むような仕組みを作っているわけです。
それが、終わるまで帰れないという制度です。
時間稼ぎをしていたら夜中の1時でも2時でも本当に残します。
さすがに聞き分けのない生徒でも、「あ、この人マジのやつだ。シャレならん」と認識します。
そう認識したら、次回の授業では最初からまともに取り組みます。
まともに取り組みさえすれば当然夜中までなんかかかりません。
叱らなくても直せるんです。
むしろ叱ったって直りません。
他塾ではこういった不真面目な態度の生徒でも放置しがちですが、それ絶対に点数上がらないですよ。
中・下位層は基本的に『勉強を教えるだけで点数が上がる生徒』ではないですから、あらゆる点において工夫が要るわけです。
よく「頭のいい生徒に勉強を教えるのって難しそう」と思われがちですが、実際には逆です。
頭のいい生徒は姿勢が前向きで理解力もあるので、講師の説明が下手で工夫もないような授業であっても生徒が高い能力によって補完してくれるので勝手に点数が上がるんです。
この場合、その講師が点数を上げたのではありません。誰がやったって点数が上がるような優秀な生徒が、自分で頑張ってくれた結果です。
講師の実績ではなく生徒の実績、生徒が講師を助けたんです。
月謝を払うなんてとんでもない。逆に講師から金を取った方がいい。
何を『塾の実績』と称してチラシに載せてるんだ。お前の指導が下手だったからこっちが点数上げるのに苦労したわ、金よこせ、って言ってやればいいと思います。
一方中・下位層の多くはそうはなりません。
まず姿勢が前向きでないところから始まるケースが多いので、前を向かすところからのスタートです。
話を聞かせるだけでも本当に工夫が要りますし、上位層相手だったらしなくていい労力もいろんな点でかかります。腐心します。
ですから、上位層に勉強を教えるのはむしろ簡単で、中・下位層を上位層レベルの点数に引き上げる方がよほど難しい。
その工夫のうちの一つが、ようやく冒頭の「チェック不足の問題」を解消することになるわけです。
そもそも板書をノートに取らせないスタイルなのに、ノートチェックってじゃあ何を見てるの?という話です。
>>③に続く
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