一枚の指導履歴のメモ。
私は今も捨てられずにいます。
春花(仮名)は、中1に上がる直前に入ってきました。
そのメモは、初日のものです。
太郎君のひもの長さは、花子さんのひもの長さの6倍で、42cmです。花子さんのひもの長さは何cmですか。
春花の答案はこうでした。
式 6×42=252 答え 252cm
かければいいのか割ればいいのか、わかっていない。
ありがちな間違いです。
次の問題。
1まいの画用紙から9まいのメモ用紙を作ることができます。35まいのメモ用紙を作るのに画用紙は何まいあればつくれますか。
式 9×35=315 答え 315枚
これも同様の間違え方をしています。
計算はできる。しかし、状況は把握できていないようです。
最後は小学校1年生の教科書に載っていた問題。
これから中1に上がる子ですが、念のため、出してみました。
16人、1れつに並んでいます。たろう君の前に7人います。太郎君の後ろには何人いますか。
式 16ー7=9 答え 9人
……なるほど。
三問とも、計算そのものはひとつも間違っていません。
6×42は252だし、16-7は9です。
筆算は、むしろきれいなくらいでした。
計算はできる。答えは全滅。
その全滅だった内容は、小学校1~4年生の問題です。
中1に上がる3月。春花はこの状態で、うちに来ました。
小4からの塾通い
春花は小学4年生に上がるタイミングから、ずっと大手塾に通っていたそうです。
小学校卒業まで丸3年。
まじめな子で、宿題を忘れたことは一度もない。言われたことを言われた通りに守る。だから、手順の決まっている計算だけは正確にできました。
でも、文章題になると手が止まる。
式が立てられない。
春花は、学校で「あの子は頭が悪い」と言われていたそうです。
計算ドリルはできるのにテストは取れない。当てられると黙り込む。聞こえるように笑われることもあった。
休み時間は一人。帰り道も、いつも一人だったそうです。
一番まずかったのは、春花自身が、「あの子は頭が悪い」という誰かが貼ったレッテルを信じていたことです。
入塾面談のとき、お母さんは「うちの子、本当にできなくて、すみません」と、話の区切りごとに頭を下げました。春花はその隣で、ずっと自分の膝を見ていました。
私は春花に聞きました。
「算数、嫌い?」
春花は、ちらりとお母さんの顔を見ました。不安そうな目。自分のことなのに答えていいかどうかを隣に確認するんです。それから小さな声で言いました。
「……すみません」
好きか嫌いかを聞いてもそれには答えず、春花は謝りました。
その日に出題した確認問題が先ほどの答案です。
途中、春花は一度だけ、小さく手を挙げました。
「あの……これ、かけるんですか? わるんですか?」
ひもの問題でした。
「どっちだと思う?」
「…………すみません」
また謝る。かける根拠も、わる根拠もない。
ただ、どちらかの計算をすれば答えが出るはずだ、とだけ思っている。
数字は見えているのに、たろう君と花子さんがどういう状況にあるのかは見えていない。
解き終えたプリントを出すとき、春花は小さな声で言いました。
「できました……」
か細い声でした。
春花と目が合いました。春花はすぐにまた下を向いて、ぽつりと言いました。
「先生。私、たぶん、ここでも無理だと思います」
「どうして?」
「頭、悪いので」
何でも正直に話す子でした。このときも、本気でそう思っていたんです。
「アメリカ人の子どもってさ、3歳くらいでも日常会話なら英語でちゃんと話せるよ」
「……?」
「でも俺は全然しゃべれない」
春花は不思議そうな表情で、顔を上げました。
「それって、俺がアメリカ人の3歳児より頭が悪いから、なのかな?」
「……いや、アメリカ人はアメリカに住んでるから……」
「んだね。彼らが英語をしゃべれるのは、生まれたときから英語に囲まれているからね。そりゃ誰だってしゃべれるようになる。つまり彼らが3歳で日常英会話ができるのは、頭が良いからじゃない。必ずしゃべれるようになる環境が、『英語をしゃべれる状態』にしたわけだ。頭の良し悪しなんて関係ない」
「……」
「うちの塾に半年通って、定期テストの数学で80点取れるようにならなかった生徒は開業以来一人もいないよ。全員だ。っていうか、80点台って一番伸びなかった生徒の話で、90点取れなかった生徒なんてほぼいない。ほとんどが90点~100点を毎回取るようになってる。なんでだと思う?」
「先生の説明がうまいから、ですか?」
「それはもちろんある。けど、それだけじゃない。説明がうまい人なんて俺以外にもたくさんいる。なのに、他の塾だと数学を習っても全然上がらない人がいっぱいいる。説明がうまい講師から習ってもだ。つまり説明がうまいかどうかは一番大事な要素ではない」
「……そうなんですか?」
「そう。学歴が高い人から教えてもらえば点数が上がるかと言えば、それも違う。例えば、学校の先生でわかりにくかったものを、友達から教えてもらったらわかったことって今までなかった?」
「あります」
「だろ? じゃあ、その友達の学歴はどうだろう。同級生なんだから、小学生のはずだ。小学生の友達から教えてもらった方が、高学歴の先生よりわかりやすかったりすることがある」
「たしかに」
「だから、説明のうまさや学歴より大事なことが他にあるわけだ。この塾でみんな数学ができるようになるのは、アメリカ人がみんな英語をしゃべれるのと一緒なんだよ。英会話も、数学も、全部一緒。できるようになる環境、そのシステムがここにはある。頭が良いも悪いも関係ない。必ずできるようになる」
「必ずですか?」
「必ずだ」
「私でもですか?」
「私でも、だ」
春花は、しばらく私の顔を見ていました。
冗談なのか本気なのかを、確かめる顔でした。
春花は、お母さんのほうを向いて言いました。
「私、ここでやってみたい」
面談のはじめに、答えていいかどうかを確かめるために向けた、あの目です。
でも今度のは、確認ではありませんでした。
消しゴム
入塾してすぐ、春花の癖に気づきました。
答えを書くと、左手で隠す。私が見ようとすると、こちらが覗きこむより早く、消す。
間違いを見られる前に、消してしまうんです。
提出する課題はいつも答えしか書いていませんでした。
途中の式がわかっていないことを知られたくなかったのでしょう。
それでも答えが合っていることは算数や初等数学ではよくあります。答えが整数のことが多いからです。だからそれっぽい答えを書くだけで合っていることはある。きっとこれまでそれで乗り切っていた。
乗り切ったつもりでいた。
春花の消しゴムは、他の子の倍の速さで小さくなっていきました。
新しい消しゴムは2週間ともたなかった。
だから最初に教えたのは、算数・数学ではありません。
「途中式とか殴り書きのメモを消すのはナシだ。間違いは先生へのお土産だから、消さずに持ってきてな」
間違えた式、あるいは殴り書きのメモには、その子がどこで何をどう勘違いしたのか、思考過程が全部書いてあります。私にとっては宝の地図。消されたら困る。
――という理屈を説明しても、癖はなかなか抜けませんでしたが。
授業は、小学1年生の内容からやり直しました。
たぶん、自分がいま何年生の問題を解いているのかは気付いていたと思います。
しかし黙って取り組んでいた。
何日か経って、入塾初日のひもの問題に戻りました。
もう一度、その問題と、春花の答案を記します。これは小3の問題です。
太郎君のひもの長さは、花子さんのひもの長さの6倍で、42cmです。花子さんのひもの長さは何cmですか。
式 6×42=252 答え 252cm
「これ、もう一回やってみようか。ただし今度は、式より先に図を描く」
「……図、ですか」
「そう。まず花子さんのひもを描いてみて。長さはわからないから、テキトーでいい」
春花は、短い線を一本引きました。
「じゃあ、太郎君のひもは?」
「……6倍だから」
そこで手が止まりました。
「花子さんのひもの、何個分?」
「……6個分」
「じゃあ、その6個分を描いてみ」
春花は、さっきと同じくらいの長さの線を、6つ続けて描きました。
「太郎君のひもは何cmだって書いてある?」
「42cmです」
「そう。その6個分ぜんぶで42cmだ。図に書いて」
春花は、6つ並んだ線の下に、42と書きました。
そこで、鉛筆が止まりました。
「……あ」
「うん」
「1個が、7cmです」
「そうだ。式は?」
「42わる6です」
「合ってる。じゃあ、最初に書いた6かける42は、何を出そうとした式だったんだろうな」
春花は、しばらく自分の図を見ていました。
「……42cmのひもが、6本ぶん」
「だな。それだと太郎君のひもが6本あることになる」
「……全然、違いました」
「んだね。図にすれば見える。視覚的に、構造で判断できるようになる。でも構造を読み解かずに数字だけ拾って、掛けたり引いたりすると、ピンとこない。間違っていることに気付けない」
春花はうなずいて、それから、こう言ったんです。
「……だって、そういうふうに教わったんです。『倍』って書いてあったら、前の数と後ろの数をかけるんだよ、って」
私は、この一言を聞くために、この仕事をやっているようなものです。
たしかに、前の塾で教わった通りのことをしている。『倍』って書いてあったから、前の数と後ろの数をかけている。で、間違っている。
上がらない子は、サボっているんじゃないんです。こうやって、教わった通りに、数学じゃないことをやっているんです。
『倍』と書いてあったら、前と後ろを掛ける。そんな法則は、ありません。特定の条件のときにしか通用しない偶然です。
状況を把握せず、合うか合わないかを偶然に委ねる行為は、数学ではない。
でも春花は、それを『いつでも通用する公式』かのように教わった。少なくとも彼女はそう解釈していた。そして、忠実に守ってきた。
守れば守るほど答えが合わなくなるとも知らずに。
そこからは、地味な訓練の日々です。
この思考回路から脱却させる。そこからです。
図を描かせる。式の意味を聞く。
「なんで、その式になるの?」と問いかける。
もちろん、最初から説明できるわけではありません。理屈を教え、練習問題を解き、その上できちんと理解できているかを口頭試問で身につけさせるわけです。
最初のころ、春花は「なんで?」と聞かれるたびに固まりました。
「責めてるんじゃない。理由がわからなければまた間違うからね。だから、正解のときも理由を聞く」と伝えました。
うちでは、答えが合っていても理由を聞きます。
「なんで、ここは引き算にしたの?」
「……えっと」
「合ってるよ。合ってるけど、なんでそうしたか言ってみ」
合っているのに、なぜ、と聞かれる。前の塾では、丸がつけばそれで終わりだったのでしょう。
それが普通の塾です。
「答えられないなら、それはまだできてない」
「……合ってるのに、ですか?」
「合ってるのに、だ。まぐれで合うのと、わかって合うのは違う。わかっていれば、絶対に間違えない。100回やって100回間違えない」
「……それは嘘だと思います」
初めて、春花は異を唱えた。
「そうか? じゃあ、今からケーキを作るとしよう。イチゴのショートケーキ。甘い生クリームが要るわな」
「はい」
「じゃあ質問だ。生クリームを作るのに、砂糖と塩、どっち入れる?」
「砂糖です」
「即答だな。なんで?」
「え、なんで?? ……だって、普通に」
「普通に、じゃダメだ。『普通』では理由になってない。なんで砂糖なの? なんで塩じゃないの?」
「だって、甘くしたいから」
「そうだ。甘くしたいから砂糖を入れる。ここは絶対に塩じゃないよな?」
「はい。塩を入れたらしょっぱくなるから」
「だな。じゃあもう一つ聞くぞ。100回生クリーム作るとしてだ。1回でも『あれ、砂糖と塩、どっち入れるんだっけ?』って言って、間違えて塩入れることあるか?」
「ないです」
「ないよな。甘くしたいから砂糖を入れる。その理由・理屈がわかっているなら、100回やったって100回間違えない。1回たりとも間違えない。『どっちだっけ』ともならない。俺が言ってるのはそういうことだ」
「!!」
「もっと言えば、学校の授業で『教科書とマンガ、今日どっち使うんだったっけ?』っつって授業中に間違えてマンガ読み始めたことなんて一度でもあるか?」
「ないです」
「それと一緒だよ。わかってる、ってのはそういうこと。わかっていたら絶対に間違えない。暗記した答えを思い出して答えているわけじゃないんだから。わかっていれば目的に合わせて現場で組み立てられる。だから初見の問題も『なんだっけ』じゃなくて、『どうすれば条件に合う?』って、その場で考えられる。実テや模試・入試、それから仕事で必要な能力はそれなんだ」
「……模試、前の塾のときに小4から小6までいつも受けていたけど、いっつもダメでした。こんなの習ってないって思って全然解けなくて」
「何点くらいだったの?」
「……40点取れたことないです。だいたい20点くらい」
「まぁ、わかってると思うけど、厳しい点数だわな。かけるべきか割るべきか、数字が2つしかないから大体その2択で、たまたま合っていたときだけ正解して40点近くになる。でも、それって実質的には計算しか合わなかった20点のときと変わらなくて」
「……」
「わかって答えられる人はその場で即興で解ける。で、『わかる』って、本当は難しいことではなくて。なんで砂糖なの?ってのと一緒で、必ずそこには理由がある。理由を無視して手順を暗記するより、理由を知る方が脳にとっては自然なことなんだ。その方が覚えやすくて忘れにくい」
「なるほど」
「もちろん、人間は間違うことがあるから、凡ミスをしたり思わぬ間違いをすることは当然あるよ。計算ミスとかね。でも、砂糖を入れるべきか塩を入れるべきかとか、教科書とマンガどっちを使うべきかとか、そういう根本のところで迷ったり間違えたりすることはない。それが『わかってる』ってこと。わかってる人は、勉強がどんどん進む。わかってない人は、どれだけ勉強しても「あれ、どうやるんだっけ?忘れた」って言い続ける」
「……はい」
「前に『できるようになるシステムがここにはある』って言ったけど、そのうちの一つがこれだ。うちでは絶対に、原理原則をわからせる。なんで?の部分をわからせる。しかもそれは、難しいことじゃない。『甘くしたいから、砂糖を入れる』みたいなことだ。簡単だ。それを理解すれば必ずできるようになる。勉強は進む」
「そっか……」
春花は腹落ちしたようで、ニコニコ顔になりました。
「じゃ、もう一回さっきの問題考えてみようか。なんでこうなるんだろうな」
春花はしばらく自分の式を見ていました。
それからぽつぽつと説明を始めました。つっかえながら。何度も詰まりながら。それでも最後まで言い切った。
「よし、正解。いいじゃねえか。それが『わかった』ってことだ」
「はい!」
春花はそれまで、『わかった』ということがどういうことなのか、わかっていませんでした。
理由がわかってなくても、答えさえ合っていれば『わかった』と解釈していた。
しかしそれは『わかった』とは言わないんです。
『わかった』と、『正解までの作業手順を暗記した』の違い。
これを知ることが、勉強では重要です。
ここに、数学だけが安定しない子の正体があります。
やったことのない応用問題を即興で解くことができなければ、実テ・模試・入試の数学で高得点にはなりません。
それは、原理原則からその場で組み立てる能力。初見で解く力。暗記でどうこうするものではありません。
学力上位層のうち、数学以外は取れているのに数学だけ安定しない生徒がいます。その解決方法は、暗記科目の攻略方法とは全然異なるわけです。
同じように勉強しても数学だけうまくいかないのはそのためです。
「基礎はできている」の正体
春花の場合、かけ算と割り算の概念、その『意味』をイチから理解させる必要がありました。
しなければいけないのは、計算の仕方ではなかった。それはできている。
春花がやっていたのは、何が起こっているのかわからない状態で『右から左に移動させなさいと言われたから、その通りに右から左に移動させた』というようなことでした。
その行為にどんな意味があるのか、これからやろうとしている目的を達成するのにどう関わってくるのか、そういうことは全くわかっていません。
単に、右から左、それだけ。
算数が嫌いな生徒に本当によくあることです。
計算はできるので基礎はできている、でも文章題が苦手。そのように思っている人は多い。
どこの塾にも、どの教室にもいます。
この状況を正しく言うと、『基礎ができている』ではなく、『計算という行為の作業方法は、知っている』です。
その行為がどういう意味を持っていて、どう使われるのか。
それがわかっていなくても答えが出せるのが、計算。頭を使わなくても作業手順さえ知っていれば正解できるのが、計算。
それは基礎とは違うんです。
作文や小論文で例えるなら、計算ができることは『ひらがなや漢字など、文字が書けること』に当たります。
文章を書くのに文字が全部書けるのは最低限必要な条件であって、それさえ書ければ文章が書けるかと言ったらそうではない。人物、場所、出来事、時制、会話、などなど、それらを総合して全体の構成を考え、組み立てる。これが文章を書くのに必要なこと。文字が書けても『すなわち文章も書ける』とはなりません。
つまり、『文字が書けること=基礎ができていること』ではない。基礎のうちの一つが、文字が書けること、です。
『基礎ができる』とは、ものごとの概念、あるいは意味を理解した上で、基本的なことが一通りできるかどうか、です。
バスケのルールを机上で学んで知っていても上手にプレイできるかと言ったら別問題ですし、楽譜が読めればヴァイオリンが弾けるかといったら、弾けない。計算って、バスケのルールを知っているとか楽譜が読めるとか、それにあたる部分です。
ここで、塾や家庭教師です。
『計算ができればあとは応用問題のやり方を教えて数をこなせばできるようになる』と言って応用問題を提供し、『やり方』という名称の作業手順を教えている塾が多い。
これはまずい。
応用の前に、ものごとの原理原則です。それが、基礎です。ルールと基礎は違う。
バスケのルールは完璧に知っているけれど実際にボールに触ったことはない、という人を、いきなりバスケ部の紅白戦に一人混ぜたところで、その子は一度もボールに触ることはできません。レベルが違いすぎる。練習にならない。
春花もそうでした。頭でルールは知っているけれど、実践の場で球をどう扱うか、体は知らない。その状態でレギュラーメンバーと同じコートに立たされて同じ動きを要求され、パスが来ても秒で取られ、ほとんど何もできずに3年間が過ぎた。春花にとって練習になってないのは明白。当然、技術は向上しない。
応用問題というのは紅白戦のようなもの。『こういうときはこうするのが定石』といった、戦略込みの実践です。ルールを知っているだけじゃできません。計算の次に応用問題に行くと、一部のできる子だけができて、そうでない子はずっとできません。
計算と応用問題をつなぐもの。それが、『なぜ』という問いです。多くの場合、問われない生徒はなぜなのか理解しないまま、考えたこともないまま、作業手順だけ覚えてその単元は終わっていく。終わった後、何も残らない。『忘れた』と言い始める。「砂糖だっけ、塩だっけ」と言っているのと一緒で、原理を理解しなければそういうことさえ『忘れる』ということが起こります。
砂糖と塩のどちらを入れるべきかは暗記することではありません。今から甘くしたいのかしょっぱくしたいのか、目的に合わせて今この場で判断して選択することです。
でも、暗記に走った途端にそれは甘いものやしょっぱいものではなく、「サトウ」「シオ」という文字列になっている。そこに意味としての差異はないので、後から「どっちだっけ?」となる。
塾通いをしていても全然点数が上がっていないパターンの代表が、これです。「なぜ」を問わずに、やり方を教えて覚えさせる。
この場合、その塾は点数が上がらない原因がわかっていないので、ずっと同じことをし続けます。ずっと球に触れない紅白戦に出し続けます。生徒は意味もわかっていません。だからずっと点数は上がりません。それはこれまで点数が上がっていない事実をもって証明済みです。
一年塾通いして何も変わらなかったら、その塾は伸ばし方を知りません。
学問でも何でもそうですが、正しく教われば、一年で何も進歩が見られないということは起きないからです。
言われたことを守って何も変わらなかったなら、原因はその子の側にありません。
春花がやるべきは紅白戦ではありませんでした。でも、前の塾では紅白戦を強いられた。このまま数をこなせばそのうちできるようになると言われ続けて。
では、伸ばし方とは何か。
例えば、「肉じゃがを作って」と二人に頼んで、どう作ったか聞いたとします。
A「キッチンにあるレシピを見ました。4人分の分量って書いてありました。今日は6人だから、1.5倍必要だとわかります。砂糖大さじ2と書いていたので、今回は大さじ3。他も同様です。でも、煮込む時間は1.5倍にしませんでした。量が増えても、味が染みるのにかかる時間は同じだから」
B「キッチンにあるレシピを見ました。4人分の分量って書いてありました。6人分のは書いてなかったので、ネットで6人分のレシピを検索しました。そしたら6人分のが出てきました。書いてある通りに入れました」
この場合、Aの方は4人分のレシピがあれば2人分でも10人分でもすぐに作れそうです。
一方Bの行動は、直接答えが書いてなかったときに、考えるのではなく、答えを探しに行きました。このとき、講師は解説することを一旦やめて立ち止まらなければなりません。『この生徒はかけ算の概念がわかっていないのかもしれない』と。
そうであるならば、今この問題自体がこの生徒にとってレベル的に不適切で、もっと前の原理原則からやり直さなければいけない。原理がわからない人にこの問題を解説したところで、作業手順の暗記に走るのは自明です。答えの『6人分の分量』を丸暗記し始めます。8人の問題だったら、また8人分の答えを調べて暗記し始める。載ってなければ「習ってない」と言う。これはまずい。
だから、『考えるのではなく真っ先に答えを見に行った事実』に、注意を向けなければいけません。
その次にやるべきは、生徒の回答から『どういう経緯でその答えに行き着いたか』を推測すること。そして、聞くこと。具体的にはこの場合、「10人分だったらどうなる?」って、すぐに聞かなければなりません。これが本来あるべき塾や家庭教師の数学の指導です。
まずい状態にあることは間違いないので、どこからまずくなっているのか特定しなければならない。
これをせずに問題を解説するのは、医者が問診だけで薬を出すのと一緒です。その薬、本当に効くの? 患者が「風邪だから風邪薬ください」と言ったら診断せずに風邪薬渡すの? まともな医者ならそういうことは絶対にしない。でも、塾や家庭教師は、している。
だから春花のような被害者が生まれてしまう。練習にならない紅白戦をやらされ続ける。
つまりここで講師がやるべきことは、相手の回答から『原理原則がわかっているのか、それともわかっておらず、暗記した答えを述べているだけなのか』を口頭で確認し、わかっていない場合は即座にその場で修正をすること。
子どもの能力を上げるなら、本来求められるのはこれです。「教えてください」と言われたからその問題の解法を述べる、という安直なことでは根本は解決しないんです。それが効く生徒もいれば、効かない生徒もいる。この生徒が「なぜ」を知ろうとしているのか、「答え」を知ろうとしているのかで異なる。
子どもの要求に従って安易に薬を出してはなりません。子どもは安易に鎮痛剤を所望します。答えまでの作業手順を聞こうとします。でもこっちがやるべきは鎮痛剤でごまかすのではなく、根本治療。治さないと。
当たり前のことだと思うのです。
肉じゃが6人分のレシピが書いてなかったとき、すぐに答えを見に行った、あるいは即座に「わかりません、教えてください」と言ってきたなら、この生徒に必要なアプローチは、6人分の材料を教えることではありません。かけ算と割り算、割合の概念を理解させた上で、即興でいくつかの練習問題を本人に自力で解かせることです。この場ですぐに。
この場ですぐに、がポイントです。
今まさに目の前で、『自力でできない状態』が展開されているんです。この生徒がこの問題を、家で一人で、できる道理が無い。やれと言ったって、やり方を聞いて作業手順を暗記してくるのがオチです。なら、この生徒に対するアプローチとして「今日はもう時間だから、続きは家でやってね」はそもそも間違っている。
だから、この場ですぐに、講師が『できるようにさせる』なんです。
しかし、実際にこれをやっている塾がどれだけあるか。仮に徹底してやっていれば全員高得点にすることができます。定期テストだけでなく実力テストでも模試でも入試でもです。しかし数学が全員高得点になっている塾は、私は他に知りません。調べても出てこない。模試の数学偏差値30台から県内1位になった生徒が何人もいる塾も、私は他に知りません。やはり調べても出てこない。
それもそのはずで、これを為すにはすこぶる手間がかかります。うちが1学年5人までしか募集しないのもそのためです。
解法をしゃべるだけなら簡単ですが、それをせずに『問い』と『対話』で生徒を導く。生徒が述べたのが『暗記した解法』ではなく『応用可能な原理原則』に基づいたものであるかどうか。それを見極めて、その場で修正する。
しかし、普通の塾は『授業をする』『解法を教える』『質問に答える』『宿題を出す』という、塾優先のオペレーションです。これなら大量の生徒を一括でさばける。この一連の行為が終われば、生徒がわかっていてもわかっていなくても自動的に終了。「あとは家でやってね」となる。
しかし、これで点数が上がるのは一部の生徒だけです。紅白戦に混ぜても大丈夫な生徒だけです。そうじゃない生徒は、必ずどこかでつまずきを抱えている。それを一律のオペレーションで解決することは、絶対にできない。
解法を述べて、問題解かせて、終わり。できているかどうかは、本人次第。コートでボールに一回も触れていないのが目に入っても、「続けていればできるようになるから」と言って励ますだけ。ならねえよできるようになんか。指導が間違っている。
春花をはじめ、同様の事例を多く見てきました。そのたびに、やるせない気持ちになります。そういう生徒が開花して自信を取り戻すのを見るのがこの仕事の醍醐味ですが、一方で、業界を構造から変える必要がある、と考えています。
被害者を生まないために。
一人で説明しきった日
春花が中学の内容に入って、文字式を扱うようになった頃のことも覚えています。
初めて、こちらが助け舟をひとつも出さないまま、春花が最後まで一人で説明しきった日です。
「なんで、その式になるの?」
最終的なゴールは『答えが合うこと』ではなく、『原理原則をわかった上で答えが出せること』。
「……周の長さは、紙が一枚増えるごとに6cmずつ増えているから、枚数をaとすると、増える長さは6aと考えました。でも一枚だけのときの周の長さは12cmだから、aに1を代入しても12cmになりません。6cm足りないです。だから6aに6を足したのが周の長さの式になる。6a+6。でもまだ合っているかわからないので、確かめ算で、二枚のときを計算しました。最初に数えたとき、二枚のときは18cmだったから、6a+6が合っているならa=2を代入すると18になるはず。計算したら18cmになったので、この問題は6a+6で周の長さが求められます」
「4枚だったらどうなる?」
「6a+6の、aに4を代入します」
「うん、続けて」
「元々の問題は22枚のとき周の長さを求めなさいだから、6a+6にa=22を代入すると、138cmになります」
「正解」
春花は、しばらく黙ってから、聞きました。
「……いま、合ってました?」
「合ってる」
「……ほんとですか」
「ほんとだ」
正解と言われても、まだ疑う。無理もありません。自分を疑う練習だけは、それまでの算数で嫌というほど積んできたんです。逆の練習は、これから積めばいい。
まじめさというのは、恐ろしいものです。
間違った手順を渡された子は、間違った手順を、誰よりも忠実に守り抜いてしまう。
でも、正しい道具に持ち替えた瞬間から、同じまじめさがそのまま武器になります。
春花は私の話を理解しようと努め、少しずつできるようになっていきました。
夏が過ぎたころには、消しゴムはあまり減らなくなっていました。
他の日。
課題に取り組んでいる春花の手が挙がりました。
「先生、ここ、わかりません。なぜそうなるんですか?」
彼女が自分から本質的な問いを私に投げかけたのは、これが初めてでした。
なんでもないやり取りに見えると思います。でも、質問の中身が全然違う。
「なぜ?」と聞いている。
初期の頃の「わかりません」は、オートマチックに答えが出る作業手順を聞こうとしていました。
今はそうではありません。意味を知ろうとしている。
入塾のときの「かけるんですか? わるんですか?」のような問い。
あれは理由を聞いているのではなく、原理を無視して答えまでの手順を聞いていた。
しかしこのときの春花は違っていました。
この進歩に本人は気付いていないけれど、私には伝わりました。
よかった。
数学とはどういう学問なのか、春花はだんだんわかってきている。
94点
中1の11月。秋田ではめっきり寒くなる季節です。
その月のはじめ、学校の数学の授業で、春花が当てられたそうです。
答えられずにうつむく――以前の春花はそうでした。
しかしその日、黒板に書きながら説明した。声は小さかったけれど、合っていた。
先生が「……完璧ですね!」と言って、ノートを取っていた何人かが顔を上げて春花を見た。
春花は席について、机の下で、両手を握ったそうです。誰にも見えないように。
そしてテスト前日。
授業終了後、帰り際に私は言いました。
「明日のテストは絶対できるからな。わからない問題はたぶん一問もないから」
「ほんとですか?」
「ほんとだ。っていうか20分は余る。残った時間はフルで見直しをすること」
「わかりました」
「90点超えたらチーズケーキ作ってやるからな」
「はい!」
私の塾では、目標点数に達したらチーズケーキを作って生徒に渡すようにしています。
これは18歳で初めて家庭教師のアルバイトをした頃からずっと続けている習慣です。
自慢のチーズケーキ。
ハーゲンダッツバニラを贅沢に2個使い、マル秘の材料を加えて仕上げた自慢の逸品。
正直、これは旨いです。
なんなら数学教えるよりチーズケーキの方がうまいかもしれない。
研究を重ね、この味に到達するまで20年かかりました。マル秘の材料が決め手だった。ようやく完成した味です。
「もうケーキの材料買ってあるからな。ダメでしたとか言ったら俺全部食うから」
「ええ~~! 頑張ります!」
定期テストが返された日、春花は塾に来るなり、カバンから答案を出して、両手で私に差し出しました。
「先生、やらかしてしまいました……」
数学、94点。
「お、やったじゃねえか!」
「いや、ダメです。これ100点取れました」
「なに間違えたの?」
「これ問題用紙に書いた計算の答えは合ってるのに、答案用紙にマイナスを書き写してませんでした。あともう一つは約分し忘れです。見直ししたんですけど、気付かなかったです」
「そっか、まぁ仕方ない。1周終わって解き終わったその答案は、絶対に1個か2個凡ミスがあると思った方がいい。だから見直しはめっちゃした方がいい。人間は完璧じゃないから」
「はい……。いやぁ、でも悔しいです!」
目標達成の嬉しさより悔しさが勝っているようでした。
小学生の頃でもこんな点数は取ったことがなかったのに。
それから、付け足すように言いました。
「あ、あと先生。全問ちゃんと説明できます」
点数より先に、そこを報告したがるようになっていました。
かけ算なのか割り算なのかという判断基準すら持っていなかった、入塾した頃。
「わかりません」という発言は、意味を知るためではなく、答えまでの手順を知るために使っていた、入塾した頃。
小学校1年生の問題からやり直した、入塾した頃。
そして、書いた内容を左手で隠し、消しゴムを頻繁に買い換えていた日々。
入塾した頃の本人に見せたらどれほど驚くだろう、そんな変化でした。
帰りぎわ、約束のチーズケーキを渡しました。
「94点、おめでとう」
「ありがとうございます!」
春花は、両手で抱えて笑いました。
その日は迎えに来たお母さんも、ご報告に来られました。普段は保護者の方が教室に入ってくることはないのですが。何度も頭を下げるんです。
「この子が、テストを自分から見せてきたんです。今まで一度も、なかったことで」
そこで言葉に詰まって、それだけ言って、また頭を下げて帰っていきました。
面談の日、「すみません、うちの子、本当にできなくて」と謝り続けていた、あのお母さんです。
次に塾に来た日、春花は席に着くより先に言いました。
「先生! チーズケーキ、めちゃくちゃおいしかったです! お母さんと半分こしました」
「だろ。うめえんだよ俺のチーズケーキは。ただな、一つ言っておくことがある」
「はい?」
「次からチーズケーキがもらえるのは、97点以上だ」
「ええ~~!?」
「うまいもんは、ハードルの向こうに置くことにしてるんだ」
「……いいです。じゃあ私、100点取ります!」
「言ったな?」
「言いました!」
「なんで」
同じテストで、42点だったクラスメイトがいたそうです。
Aさんとします。小学校のころ、春花を「頭悪い」と笑っていたグループの、中心にいた子です。
ここから先は、後になって、春花から聞いた話です。
テストが返された日、Aさんは自分の答案を半分に折って、すぐ机の中にしまいました。
春花はそれを見て、思ったそうです。
あ、私が小学生のときにいつもやってたやつだ、と。
それから何日かして、数学の授業で、Aさんが先生に当てられました。
立ったまま、答えられない。
教室が嫌な静かさになる。
Aさんの前の席は春花でした。
春花はそのとき、ノートの新しいページを開いて、式と答えを大きく書いたそうです。
それからそのノートを、そっと立てました。
後ろで気まずく沈黙している、Aさんに見せるために。
かつては答えを隠すために手でノートを覆っていた子が、人に答えを見せるために、ノートを立てた。
Aさんは、その場をしのぎました。
授業のあと、Aさんが春花のところに来ました。
「……なんで」
「え?」
「なんで、教えてくれたの。私、あんたのこと、ずっと……」
その先を、春花は弾んだ声で遮って言いました。
「Aちゃん、小2のとき、覚えてる?」
「……小2?」
「私が男子にいじわるされて、泣いてたとき。……『一緒に帰ろ』って言ってくれたでしょ」
「……そんなこと、あったっけ?」
「あった。私、すっごく嬉しかったんだ」
Aさんは、黙りました。
「あのとき、私人と関わるのが苦手だったから。ありがとうも言えなくて。でも、ずっと、何か返せたらいいなって思ってたんだ。だけど、なんにも取り柄ないから、できなくて」
「……」
「いまは数学ならちょっとわかるから。……だからさっき、やっと返せたの」
そう言って、春花は笑ったそうです。
しばらくして、Aさんが言いました。
「……ごめん」
「え? なにが?」
Aさんは、少し黙ってから言いました。
「……いろいろ。……あと、今度、教えて。数学」
「うん、いいよ!」
二人はその日、一緒に帰ったそうです。5年ぶりに。
助けてもらった恩を、春花は5年間、覚えていました。「何か返したい。でも私はなんにもできない」と思いながらの、5年間です。
「嬉しい気持ちになるんですね」
その週、塾に来た春花が、この話をしてくれました。
いつもより早口で、テンション高めに。
「Aちゃんが急に『ごめん』って言うんですよ。私、なんのことだろうって、一瞬わかんなくて」
――わからないんです、この子は。本気で。
小学校の高学年、ずっと『頭の悪い子』扱いをされていたんですよ。普通なら、そう簡単に忘れられるものじゃない。
でも、春花が5年間抱えて歩いてきたのは、そっちじゃなかった。
たった一度の、「一緒に帰ろ」のほうでした。
恨みは覚えていないのに、恩だけは覚えている。
そういう子なんです、春花は。
最後に、こう言いました。
「先生。誰かの役に立つって、嬉しい気持ちになるんですね」
私は「そうだな」とだけ言って、手元の丸付けに戻りました。
戻ったふりを、しました。しばらく、ペンは動きませんでした。
自分のことをあざ笑っていた相手を助けて、出てくる言葉がそれですよ。
生徒が大勢いる中で、私は顔を見られないように下を向き、丸付けはいつもの倍の時間がかかっていました。
それから
そこからの春花は、見ていて面白いくらいでした。
ある日、塾に来るなり言いました。
「先生。今日、数学の授業で発表しました」
「おう」
「間違えました」
「おう」
「……でも、なんか、平気でした」
「そうか」
「席に着いてからすぐに間違いに気付いて。なんか悔しかったので、別のアプローチで解けないか考えて、違う解き方を見つけました。ちょっと嬉しかったです」
「ええやんけ。どれ、見せて」
「これです」
「……。へぇ。おもしれーじゃん。理屈は通ってるし、教科書通りの解法より早そうだな」
「ですよね!?こうした方が絶対早いと思って、やってみたら合ってました!」
「やるやんけ」
理屈が合っているなら手段を変えても大丈夫なはず、それが数学であり、あるいは社会人になった後の、問題解決の考え方です。
仕事ができる人は原理原則から方法を考えます。「こうしなさい」って言われたからという理由で手段を選ぶのではなく、「なぜそうするのか」を考える。
こういう力は、このようにして磨かれていきます。
次の定期テストで、春花は100点を取りました。学年でただ一人の、100点です。
報告の第一声は、「見てください」でも「やりました」でもありませんでした。
「先生、帰りに問題ください。とびきり難しいやつ」
強くなったもんです。
チーズケーキは、宣言どおり、満点で持っていかれました。
学校では、Aさんに教え、Aさんの友達にも教えるようになりました。
「これ、かけるの?わるの?」と聞かれると、「図を描いたらわかるよ!」と返すそうです。
作業手順を教えるのではなく、「なぜ」を考えさせる。
私の教え方が、そのまま身についているようでした。
あるとき、春花が言いました。
「先生。私、教えるの、けっこう好きみたいです」
「うまいもんな」
「先生のまねです」
点数の話ばかりしてきましたが、私はこれを、点数アップの話だと思っていません。
できるようになったから、自信がついた。
自信がついたから、人を助けられた。
助けたら、「役に立つって嬉しい」と知った。
94点も100点も、この連鎖の、入口にすぎません。
そして、その入口は『できたという事実』でしか、開かない。
だから、塾講師は『できるようにさせる』という義務があると私は考えます。
一生懸命頑張った生徒が、『できない』『結果が出ない』ということはあってはならない。
少なくとも、義務教育で問われるのは、正しく学べば必ずできるようになることだけですから。
これまで、全員が高得点を取ってきました。
取らせてきました。
それによって、子どもは自信を持つことができるんです。
春花のように。
あるとき、帰りぎわに、改まって言われました。
「先生、ありがとうございました」
「なんだ、急に」
「私、ずっと、自分はなんにもできない、取り柄もないって思ってたから。……いまは『教えて』って言われるんです。私が、ですよ」
「頑張ったもんな」
「ここに入ってなかったら……」
その先は言わずに、笑って帰っていきました。
中3になった春花は、入試直前期の12月と1月の実力テストで2回連続96点を取りました。
これは不動のトップ校『秋田高校』に合格する生徒の中でも、上位の水準。
どちらも学年で一人だけの最高点だったそうです。
中1に上がるとき、問題の意味を読み解くために小1の問題からやり直したあの子が、です。
進路の話をしたとき、春花は、教える仕事に就きたいと言いました。
「私みたいに、自分は頭が悪いって思ってる子に、そうじゃないよって、教えてあげたいんです」
あの春、膝を見つめて「頭、悪いので」と言った子の面影は、もうどこにもありませんでした。
春花は今もときどき塾に顔を出します。数学で私が教えることは、もうほとんどありません。あるとき、後輩の女の子に文章題を教えていました。ノートに丸を並べて、こう言いながら。
「そう、合ってる。でも、なんで割るんだと思う?」
あの答案メモを捨てない理由
最初の答案メモの話に、戻ります。
あれを見て、「この子は頭が悪い」と思った人が、いるかもしれません。
しかしそうではない。
中3終盤の実力テストで学年唯一の96点を2回取る頭の持ち主です。
模試で20点~40点で、周囲から頭の悪い子扱いされていたけれど、その原因は『頭が悪いから』ではなかった。
それは結果が証明しています。
本当に『頭が悪い』が原因だったなら、実テ96点連発なんてできませんから。
「私はなんにもできないから」という思い込みが、春花の力を閉じ込めていた。
有名なエピソードがあります。
象を調教する方法の一つに、『エレファントシンドローム』という現象を利用したものがあります。
野生の象を捕まえてきて、絶対にちぎれない頑丈な鎖でつないでおく。象はしばらく暴れて逃げようとしますが、数日のうちに、暴れなくなります。
そして一度そうなると、鎖を細いロープに付け替えても、もう逃げないんだそうです。
象の力なら、ロープなんて簡単にちぎれます。でも、ちぎろうとしない。
『自分はつながれたら逃げられない』『自分には無理』と刷り込まれた象は、本当はできるはずのことを、試すことすらしなくなるからです。
実は人間にも、同じことが起こります。
『あんなに頑張ったのに、できなかった』。この経験を何度も繰り返すと、無意識のうちに『自分には無理』が刷り込まれ、見えない鎖につながれます。
「なんでこんなこともできないの?」「頭悪い」。他人から言われ続けても、同じ鎖が巻かれます。
春花は、両方でした。
3年間、まじめに頑張って、それでもできなかった。言われた通りにやっているのに、全然できるようにならなかった。
そして周りから「頭悪い」と言われ続け、本人が、それを信じた。
二重に、つながれていたんです。
初日の、「私、たぶん、ここでも無理だと思います」。
あれは、鎖につながれた春花の声です。
スタディーイノベーションがやるべきこと。
それは、この見えない鎖を外すことです。
ただし、鎖は説得では外れません。「あなたはできる」と100回言っても、外れない。
実際に、できるようにさせるしかない。
その経験だけが、鎖を切ることができるんです。
それを切った事例がまさに春花です。
春花だけじゃない。毎年、今も、春花のように塾生は成長しています。
春花は、見えない鎖をちぎりました。
今度は、あなたの番かもしれません。
この塾はただ勉強を教えるだけの塾ではありません。
鎖を外して子どもの可能性を広げること。それが、スタディーイノベーションの役割です。
生徒の鎖は、私が外します。
小学生のうちなら、鎖は巻かれません
春花の鎖は、外れました。
ただ、そこに至るまでには、小学1年生の内容まで戻り、長い時間をかけて考え方を作り直す必要がありました。
正直に言えば、あれは遠回りです。
小学1年生の問題からやり直して、毎回「なんで、その式になるの?」と聞かれて、答えられずに固まる日々。春花は耐えましたが、誰にでも勧められる道ではありません。
春花の伸びが、どれくらいのものだったか。
学年でビリだった女子高生が、偏差値を40上げて難関大学に受かる。そういう話が、本になり、映画になりました。本や映画になるのは、めったに起こらないからです。
この教室で起きているのは、それと同じ種類の伸びです。ただ、ここでは珍しくないので、本にはなりません。
珍しくないのは、仕組み化しているから。すると、再現可能になります。
一番いいのは、そもそも巻かせないことです。
小学生のうちに「なぜそうなるのか」を考える習慣がついていれば、鎖は巻かれません。手順の暗記で答えを出す回路が、そもそもできない。
そして、ここが大事なところです。
中学の数学は、中1の文字式のあたりから急に抽象的になります。
小学校のうちを手順の暗記で乗り切ってきた子は、ここでまとめて止まります。暗記でしのげる範囲を超えるからです。「中学に入ったら急にできなくなった」の正体は、たいていこれです。
逆に、理由を考える習慣がある子は、ここで止まりません。止まらないまま、3年間を走り切ります。
高得点を「取り返す」のではなく、「取り続ける」ことになる。
春花のような遠回りを、経験しなくて済むということです。
また、「取り返す」というのはめちゃくちゃ大変です。「3年分の内容を1年半でマスターして」というようなことを強いられます。いくら指導側に技術があっても、それで楽々できるようになるわけではありません。本人の努力部分の負担が増すのは避けられない。
春花に話した、アメリカ人の英語の話を思い出してください。
必ずできるようになる環境に入った子は、頭の良し悪しに関係なく、できるようになる。
だとすれば、答えは一つです。その環境に、早く入ればいい。
アメリカに10年住んだ子と、2年住んだ子。同じにはなりません。
小学生講座でやっていること
一人ひとり、違う内容をやります。
学年でそろえません。かなり易しいところから始める子もいれば、最初から難易度の高い問題を扱う子もいます。その子の現在地から始めます。
そして、どこから始めた子でも、1年経つ頃には、公務員試験で出題される「判断推理」を解くようになります。
易しいところから始めた子でも、1年でそこまで来ます。
高い難易度から始めた子は、その頃にはさらに先へ行っています。追いつかれるのではなく、それぞれが自分の位置から、同じ距離を進みます。
なぜ、小学生に公務員試験の問題なのか。
この分野は、学年で習う授業内容がほとんど関係ありません。解法の暗記が効かない。すべて、状況だけで論理的に答えに導く必要がある。
問題文を読んで、状況を図や表にして、筋道を立てる。それができないと、一問も解けない。逆に言えば、それさえできれば、習っていなくても解けます。
つまり、春花に足りなかったものだけを、正面から鍛える問題です。
だから選んでいます。
また、公務員試験やSPIで問われる考え方を、小学生のうちに身につけることになります。公務員を目指す人にとっては有利です。
この教室の数字は、よその天才の話ではありません。
「うちの子には無理かも」と思っている、そのお子さんの話です。
※1 2017年度~2025年度に当教室を卒塾した生徒38名を集計。うち14名が秋田県1位を獲得。県1位は全中模試・能開模試・英数模試の数学における県内順位で、成績表は当教室に保管してあります。
なお、2012年の開業から数年間は、この水準ではありませんでした。当時は中1から通う生徒がまだ少なく、途中から来た生徒が大半だったからです。2017年度あたりから、私が長く指導した生徒の割合が増え、塾全体の数字が上がりました。在籍期間が長いほど、そして早く入るほど、伸びます。上の数字は、そのことを示しています。
※2 秋田高校合格者レベルの基準は、中3の実力テストで数学90点以上を複数回、または中3の模試で県内順位上位5%以内、を指します。
大手塾に四年間、まじめに通いました。授業も宿題も、言われた通りに。
その結果が、数学38点。
その子は一年半後、県内1位になります。模試の偏差値は36.5から75.0へ。
何が起きていたのかを書きます。
近日、このページの下の「新着記事」の欄に載せます。
募集について
当塾は入塾試験をしていません。
誰でも入れます。
ただし1学年あたり最大5人までの少人数制となりますので、枠がない場合はご容赦ください。
募集は小4から中3まで。
ただし中3については、現在の5教科の合計点と志望校までの差など、状況によって数学以外に力を入れた方が良い場合もあります。詳しくはお問い合わせください。
電話受付 15:00~23:30
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